こんにちは、totocologです
今日は、“私の母”について書こうと思います。
大切な人を想いながら、読んでいただけると幸いです。
最後の晩餐
突然ですが、皆さんは人生最後の日の食べ物は、何をオーダーしますか🍽?
誰もが一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
私のオーダーは、母の手料理📝
料理は、作り手の愛をダイレクトに感じることができますよね。
だから、もし叶うならば人生最後の日は、母の手料理が食べたいです。
心に闇を抱えた娘と母
「最後の晩餐は母の手料理希望」
なんて、母思いの優しい娘のようなことを言っていますが、とんでもない、、、🤦🏻♀️
幼い頃、今思い出すだけで胸が締め付けられるような、過ちを幾度となく犯し、両親を苦しめてきました。
なぜあのような過ちを犯してしまったのか、、。
今となれば、生きづらさから自身を解放させるためだったんだと理解できます。(身勝手な話です、、)
※生きづらさについては、このブログで何度か触れていますので併せてご覧いただけると幸いです。(#1、#2、#15)
最も心の闇が深かった時期は、小学生の頃。
母は、私が過ちを犯す度、駆けつけてくれ、
私の代わりに、涙ながらに何度も頭を下げてくれました。
当時の母の姿が、今でも脳裏に焼き付いています。
20年以上経った今でも度々、その姿を思い出し、自分の行いを見直します👀
どうしようもない娘。
そんな娘に対し母は、非難や罵倒をすることはありませんでした。(もちろんバチバチに怒られはしました)
そして、一度も諦めることなく愛を与え続けてくれ、少しずつ心の闇を晴らしてくれました。
容易にできることではない。
年齢を重ねるにつれ、ありがたみを痛感しています。
「本当にありがとう。」
母が教えてくれたコト
- 時に自分より他人を優先できる強さと優しさ。
- 他人軸ではなく、自分軸で生き、見栄を張らない。
- 自分の欲を相手に押し付けない。
- ヒトに上下をつけず、横柄な態度をとらない。
- ヒトやモノを大切にする。
私は、このような母の姿を見て育ちました👩👧
母のように愛のある優しくて強い人でありたい。
恩返しのカタチ
私たち夫婦には子供がいません。
なので、親が子に対する想いは知りません。
親が子に求めるカタチでの恩返しはできないかもしれないけれど、今まで与えてもらった、返しきれない程の恩を、1つでも多く返したい。
それが私の原動力となっています。
最後に
私は血のつながりのある家族のことを書きましたが、
愛に血のつながりは関係ないと思います。
夫や、私の周りにいてくれる人達も、
血のつながりはないですが、私の人生になくてはならない大切な存在です。
「大切な人がいない。」という方もいらっしゃるかもしれません。
もしかすると、いてくれることが当たり前になり過ぎて、気付きづらくなっているのかもしれません😌
そんな時は、毎日感謝をすることは難しくても、時々大切な人を想い、感謝をする時間を設けてみるのはいかがでしょうか。
大切な人と限定しなくても、周りにいてくれる人に感謝をすることで、当たり前が当たり前でないことに気付き、深い愛を感じることができるかもしれません🤲🏻♡
大切な人の存在が心を豊かにしてくれますよね。
このお話を読んでくださっている方が、大切な人を想い、優しく温かな気持ちに包まれていますように。
そして、大切な人達と1日でも長く、この世で笑い合えますように、、、
最後までお読みいただきありがとうございます。
※幼い頃に犯した過ちについて、詳細を書かないことに疑問を持たれた方がいらっしゃれば申し訳ございません。
あえて伏せさせていただきました。ご了承ください。
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